2013-08-25

◆◆◆8月24日●タスマニアより 《その2》◆◆◆

先ほどの投稿に続き、ホバート市内 Salamanca Market サラマンカ市場の様子です。



最後の写真は、サラマンカ通りの端にいた「大道芸者」で、西欧の国ではよく見かける風景です。

演奏を聴いた人がよいと思えば、前に小銭を置いていきます。

バグパイプの独特の音が心地よく響いていました。



ホバートの街は、他のオーストラリアの街とかなり似ていると思います。

元々は英国からの移民でできた国なので、それも当然かも知れませんが、特に古い建

物など、やはり英国の匂いが強くします。

同時に、新しい国なので、新しい建物が古い建物と混在している感じです。



また、街にはスペースが多く、特にこのホバートの街は、静かで穏やかな感じがします。

因みに、ホバートの人口は約250万人で、これはタスマニア州の人口の約半分です。

面積が広い割に、ごく特定の都市に人口が集中しているのは、オーストラリア全土に共通です。



今日午後、引率者は他の場所でも本校生徒とそのホスト家族に出会いました。

そのようにしてお出会いするご家庭の方々は、本当に優しくて温かい感じです。



さて、明日8月25日(日)も、生徒はホスト家庭とともに過しますが、午後にはホバート空港に集合し、飛行機でメルボルンに向かいます。

従って、明日午後にはホスト家庭ともお別れです。

いよいよこの旅も、終りが近付いてきた感じがします。



この次の投稿では、8月25日(日)の空港での場面についてご報告したいと考えています。





◆◆◆8月24日●タスマニアより 《その1》◆◆◆

今日は土曜日で、こちらに来てから初めての休日です。

生徒たちがどのように過すかは、各ホスト家庭次第ですが、ホバートの市街地に連れて行ってもらうケースが最も多いのではないかと思われます。



姉妹校の先生方のお話では、観光地的な場所は比較的限られているようです。

同じ場所に行く生徒もあるかも知れません。



引率者は、まず Salamanca Market に行ってみました。

Salamanca サラマンカ とは、通りの名前で、普段は駐車場所のようになっているのですが、土曜日のみ、たくさんの屋台的な店が並びます。

写真で見ていただくと、だいたいの感じが分かっていただけるかと思います。



店の種類は多岐にわたっていて、大半が観光客相手と言えますが、2枚目の写真で分かるように、地元の人相手のものもあります。

また、この通りに面しては、カフェやパブなど、たくさんのおしゃれな店が続いています。



引率者が午前中にこの市場にいる間、やはり、4名の生徒(とそのホスト家庭)に出会いました。

写真を撮った生徒もありますが、大きく写った個人写真なので、残念ながらここには載せられません。


2013-08-24

東北ボランティア第四日

追伸です 当初の予定が7時着と間違えました。予定では10時着でしたが、今桂川PAを出ましたので8時頃学校に到着予定です。

東北ボランティア第四日

おはようございます。
昨夜ボランティア終了後、お風呂と食事に少し時間がかかり、到着が7時より遅れます。今大津を過ぎました。

★★★8月23日■タスマニアより 《その6》★★★

オーストラリア研修参加者の保護者の皆さまへ

いつも見ていただいているこのブログですが、
http://meiho-hs.seesaa.net/category/20678187-1.html

スマートフォン等で見られますと「広告」が多く出てまいります。
しかし、パソコンから見ていただくと、広告は出ないはずです。
一度お試しください。

※ただいま、ここタスマニアの外の気温は摂氏約5度くらいです。
室内では暖房を効かせて、摂氏約十数度に保っています。

※タスマニアの現地時間は、日本時間プラス1時間です。
今、日本は午前3時35分頃だと思いますが、こちらでは午前4時35分です。

★★★8月23日■タスマニアより 《その5》★★★

博物館から出たあとは、約1時間と少し、街に出て買い物の時間をとりました。
わずか1時間程度では、街の中を十分には見て回れなかったと思いますが、これまでに街に連れて来てもらっていた生徒はいたようでした。

待ち合わせ場所に集合し(写真)、路線バスで学校に戻ります。
バス代は、大人は2ドル80セントですが、高校生はその半額です。

現在、1オーストラリアドルは100円に近く、こちらの物価は、かなり高く感じます。
ずっと前には、70〜80円の時があったので、かなりの差です。

因みに、こちらでタバコ1箱は25ドル(2千円以上)もします。
筆者の知る限り、オーストラリアのタバコの価格はどんどん上がってきています。
もちろん、政府が高い税金をかけてきているわけですが、15年くらい前には、当時の日本とそれほど変わらなかったのが、どんどん上がって今のレベルになっています。
このためか、以前と違って、街でタバコを吸っている人の姿は殆ど見ません。

さて、学校の校門前で解散したあとは、各家庭での「週末」となります。
この土日の行動計画を聞いた生徒もありますが、「観光地」としての行先は、実は比較的限られています。
ひよっとしたら、行った先でほかの生徒に出会うケースもあるかも知れません。

とにかく、ここホバートに泊るのも、あと今夜と明日土曜日のみとなりました。
日曜日夕方には、飛行機でメルボルンに戻り、そこで一泊して翌日に観光をしてから日本に戻ります。
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2013-08-23

★★★8月23日■タスマニアより 《その4》★★★

講堂での午前の部が終わり、クラスメイトと別れたあとは、全員でバス(今日は路線バス)に乗り、市内に向かいます。
ホバート博物館と買い物です。

ホバート博物館は、古い倉庫のような建物を基礎にして、ごく最近に改装が完成したばかりの建物です。
生徒たちは気付かなかったかも知れませんが、正面玄関のすぐ先は、ヨットやボートが多数停泊している場所でした。
そのあたりは、ちょうど河と海の境目の場所です。

博物館の展示は、オーストラリアの動物・植物、開拓の歴史、そして、原住民(アボリジニ)についての展示などがありました。

今回の投稿の写真の1枚目は、博物館の前で説明を聞いているところ、2枚目は、ご覧のとおり、展示品の昔の大砲です。
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★★★8月23日■タスマニアより 《その3》★★★

話は本日最初《その1》に戻って、静岡県焼津市からの聖歌隊のお話です。

この投稿での最初の写真は、オグルビー・ハイスクール(女子校)の校長先生 Paul Woodham 先生が、歓迎の挨拶をしているところです。

日本と違って、オーストラリアでは、校長先生は、同じ学校に何年も在籍されるそうです。
また、この学校では、3人の教頭先生がおられましたが、そのうちの一人は、校長室の隣に、校長室のような自分の部屋(オフィス)を持っていました。

この焼津市からの聖歌隊ですが、音楽は万国共通なのでしょうか、すぐに姉妹校の生徒たちと打ち解けていました。
昨日当地に着いたそうですが、週明けの月曜日には帰国するそうです。
今日も、1時間目が終わったら、すぐに学校を去りました。
忙しい旅です。

☆本日の聖歌隊の様子も、ビデオに収録しています。
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★★★8月23日■タスマニアより 《その2》★★★

本日の《その1》で、姉妹校(女子校)の管理棟のお話をしました。 この投稿の1・2枚目の写真は、その内部です。
女子校の名前 Ogilvie High School は、「オグルビー・ハイスクール」のように読みます。
2枚目の写真は、古いものではありませんが、館内には、1937年の創立当時以降の各部活(スポーツ・チーム)の写真や、その頃からの歴代主将の名前などが多く掲示されており、歴史を感じます。
3枚目の写真は、(昨日22日のものですが)管理棟の前で集合しているところです。 朝の集合の場合、このように管理棟前で集まることが多いです。 .
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3日目 (東北ボランティア)

活動最終日となりました。

カボチャとスイカとウリの収穫を行いました。下の写真の収穫前、収穫して整備後を見てください。
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今日は9時半から17時までかけて、企業のボランティアの団体12名の方々とともに収穫と畑の整備を行い、最後はそばまきをしました。

この畑の持ち主の方はご夫婦でしたが、震災でご主人が亡くなられたそうです。震災後、奥様が畑を守り続けているとのことで、この度そちらのお手伝いをさせていただく形となりました。

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男子は穴掘りをしました。

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丸一日かけて、34名の生徒は汗水流して頑張っていました。生徒から、「農業ってこんなしんどいんや!」という声が多く、今日耕した畑を奥様ひとりで守り続けることの大変さを実感しました。
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収穫物は近くの仮設住宅に届けました。

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この2日間、ボランティア活動を経験して、復興支援には継続することが大事なんだと改めて感じさせられました。

震災を風化させないこと

この大切さを知り、今回は写真を通して仙台の現状を多数発信させていただきました。

畑の隣の家はまだこのような状態でした。
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当たり前のように家があり、当たり前のように家族がいる、当たり前の生活を何気なく過ごす幸せを、もっと大切にしていかなくてはならないと感じます。

東北はまだまだ大変です。しんどい思いをされてる方がたくさんいます。力仕事もたくさんあります。絶対に風化させないという気持ちを持ち続け、これからもずっと支援していきたいと強く感じました。